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あとがき 私に足りなかったのは『英語力』と『動機』

書籍版あとがき 「私に足りなかったのは『英語力』と『動機』」

ここでひとつ昔話をします。私は学部から英語で教育が受けられる、留学生が学生の半分を占めるという先進的な大学に通っていました。マスコミにはいつもとても好意的に取り上げられる大学です。

しかしその大学を卒業した時点での私の英語力はたいしたことがなく、卒業後初めて受験したTOEICはわずか630点でした。TOEIC受験者なら分かると思いますが、630点ではほとんど満足に英語で意思疎通なんてできません。

また在学中に友人となった留学生はほとんど全員が日本語が流暢な人ばかりでした。つまり私はせっかくの環境、英語で教育が受けられるという環境をほとんど活かせなかったのです。

当時の私には「英語力」と「動機」という2つのものが欠けていました。だから英語で教育が受けられる環境を活かすことができなかったのだと今なら分かります。この「英語力」と「動機」について順番に説明していきます。

まず「英語力」について。その大学は英語で講義が受けられるといっても、問題がひとつありました。抜け道として「日本語」でも講義が受けられるのです。つまり2つの言語の講義が併存していたのです。

このように2つの言語での講義が存在する状況においては、受験英語の勉強しかしていない日本人学生は日本語で行われる講義を受講します。「英語で講義を受けられるよ、さあどうぞ」というだけでは、大多数の日本人学生は英語講義ではなく日本語講義を取ります。日本語と英語の二ヶ国語教育を掲げるその大学に通う日本人学生たちですらそうでした。

日本人学生たちが英語で行われる講義を受講できるようにするためには、従来の学校英語教育が教えている「読む」だけではまったく不十分です。学生たちが英語で講義を受講するためには「聞く」「話す」「書く」といった従来の学校教育で学べない英語力を身につけさせる必要があります。「聞く」「話す」「書く」ための英語力を身につけさせずに日本人学生たちを放り出せば、みな英語を避けて日本語講義を受講するのは必然です。

実際、帰国子女たちや留学経験者、またごく一部のものすごく熱意のある学生しか英語で開催される講義を受講する学生はいませんでした。私自身も自身の専門である英文会計の科目以外は最低限の英語講義しか受講しませんでした。

大学の卒業基準を見れば、このことを裏付ける事実がすぐに分かります。もし本当に英語で教育を受けられることの恩恵を日本人学生たちが受けているのなら、卒業基準に「TOEIC 860点以上必須」か「TOEFL PBT 600点必須」という、英語を十分に使いこなせる証となる基準を明記しても何もおかしくないはずです。

しかし私が通った大学をはじめ、ほとんどすべての「国際〜学部」ではこの基準を明確にしていません。秋田県にある国際教養大学のように「TOEFL 550点必須」「留学必須」という具体的な基準を掲げている大学以外は、その「国際〜」という看板は見掛け倒しである可能性が大いにあります。

上記のような背景があるため、大学構内で学生は「日本語基準」と「英語基準」の学生でそれぞれ別の集団を形成していました。同じ大学にいるにもかかわらず、話す言葉が違うためほとんど交流が行われないのです。私たちはよくお互いのことを“Hello, Hi Friends”、つまり挨拶だけの関係と言っていました。

大学構内では一見すると、多様な人々が交流しているように見えます。でも実際は「日本語基準」と「英語基準」の学生たちが、一部を除いてほとんど交流がないことは分かる人にはすぐに分かります。日本語と英語という話す言葉の違いによって学生たちは2つの集団に分かれてしまったのです。これはなんとも悲しい光景です。いま思い出しても悲しくなります。そしてまた、今もその大学の卒業基準は変わっていませんから、おそらく状況は私がいたころと変わっていないでしょう。

こういう状況では留学生たちが果たして日本人学生たちのことを好きになる、尊敬するということはありえるのでしょうか。英語基準の大多数の留学生たちは、英語が話せず身内同士でしか交流しない日本人学生たちによい印象を持たずに大学を卒業していったと私は思っています。

この大学時代の苦い過去がこの書籍の元となった一連のblog記事「実用的な英語を習得する方法」を書く執筆動機のひとつとなりました。受験英語しか知らない日本人を英語環境に放り出しても、すぐに適応できる人間はほとんどいないことを私は自身の経験から知っています。だから「聞く」「話す」「書く」を身につけることができる英語学習法を書かなければいけないと痛切に思っていました。

もうひとつ当時の私に欠けていたのは「英語で学ぶ動機」です。私は大学在学中はあえて英語で講義を受けることの利点を把握していませんでした。日本語で同じ内容を学べるのだから、別に苦労して英語で学ぶ必要はないだろうと思っていました。しかし私はこの時点では次の2つの利点を見逃していました。

  • 見逃していた利点①「英語で蓄積されている知識の量は日本語と比べものにならないくらいに圧倒的である」
  • 見逃していた利点②「英語を使えば日本人以外の学生たちと交流して、日本人同士だけでは学べないさまざまなことを学べる」

英語で蓄積されている知識の量は日本語と比較して圧倒的です。Internetの世界を見てもそれは明らかです。また英語を使えば日本人以外の14億人、英語を公用語としている約80ヶ国の人々と交流することができます。このことの重要性を当時の自分はちゃんと理解していませんでした。

私はNew Yorkで過ごした7ヶ月間で、日本人以外の人たちと交流して人生観が変わるくらいの体験を何度もしました。もし大学時代に英語を十分に使いこなせれば、このNew Yorkの7ヶ月と同様かそれ以上の驚きの経験を数多くすることができたと思います。

日本人以外の人たちと接すれば、本当に多くの発見があります。ただ大学時代の私は、「英語力」と彼らと接したいという「動機」がなかったので、こういった機会を見逃していました。 

また「英語で蓄積されている知識の量は日本語と比較して圧倒的」という点について実例を出すと、この記事を書いていたときもThe World BankのWorld Development Indicators、各種統計資料がうまく使いこなせないことにイライラしていました。日本語で探すよりも英語で探したほうがこういった統計資料ははるかに見つけやすいのです。英語で政治経済を学んでいればこの統計資料もすぐに使用できたのに……と昔を思い出して歯ぎしりしていました。英語で書かれた資料は日本語よりもはるかに多いのです。しかし私は日本語で学んできたため、これら資料をうまく使いこなせないのです。

留学を終えて大学時代を振り返っていま思う事は、私が通った大学は日本の将来のひとつの姿かもしれないということです。仮に日本に将来他の国の人たちが来ても、「語学力」と「動機」がない人たちは自分たちと同じ日本人としか交流しないでしょう。

同じ場所で暮らすのに交流がない。だからお互いを尊敬することもなく、悪い場合には敵対意識を抱いて排斥をする恐れもある。もし何も状況が変わらないのであれば、私はたぶんそうなるだろうと思っています。私はそうなってしまうのが嫌で、3ヶ月間もかけて一連のblog記事を書き上げ、またこの書籍も書き上げました。

もし20万円もあれば、私が留学していたNew Yorkに1週間くらいの旅行はすぐにできます。でもこの選択肢を選ぶ人は少ないでしょう。それは「英語力」と「動機」がないからです。

またblog「米国体験記」にたくさんの記事を書いているように、私はたった7ヶ月のNew York生活でも本当にたくさんの面白い経験ができました。もっと長期間いればさらに面白い体験ができたと思います。

きっと4年間の学部生活や2年間の大学院生活を送った人たち、駐在員として数年間を海外で働いた人たち、またもうすでに日本と関係がない海外企業で働いている人たちは、私以上にもっともっと面白い体験をしていると思います。そして近い将来、今度は私がそういったみなさんの体験記を読む側になりたいと思っています。

そしてこの書籍を手にとってくれた人たちの誰かが、半年〜2年後くらいにTOEIC A levelに到達して、かつ実際に不自由なく英語を「話したり」「書いたり」して、英語を使いこなしてくれたらと願っています。

私の英語学習方法は現時点では最新の学習方法ですが、3年もしたら陳腐化して改訂が必要になると思います。3年後はより簡単に、より分かりやすい学習法が新たに生まれているはずです。そしてそのときにはこの書籍や私のblogを読んだ誰かが、そのときの最新の英語学習法を書いて発表してくれたらと今から密かに願っています。

この書籍に書かれている文章はほとんどすべてTwitter上で書き上げたものです。Twitterで多くの人たちに支えられた結果、今回の書籍化につながりました。また書籍内でもTwitterのIDを紹介してもよいですかと尋ねた際に、ほとんどすべての人たちが快く承諾してくれました。協力していただいた方々、本当にありがとうございました。

そして最後に、今回書籍の帯の推薦文を快く引き受けていただいた勝間和代さん、ありがとうございました。私は2005年秋頃に発売された日経ビジネスアソシエの別冊にて勝間和代さんが勧めるAudio Book特集の記事を読み、そして実践した結果、十分な英語力を身につけることができました。この本もあのときの勝間さんの記事のように、誰かの人生に影響を与えることになれば望外の喜びです。

著者 HIROYUKI HAL SHIBATA

追記 書籍内容に関する質問はTwitterのReplyかDMで連絡をいただけるとMailで連絡をいただくよりもはやく返信をしますので、できればまずTwitterで連絡をお願いします。

  •    Twitter ID @HAL_J
  •    連絡先 treasure.in.treasure.out(at)gmail.com
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